肺ガンと闘う   

 
 平成14年11月、曽爾高原
 ウォーキングのリーダー
 を努められた頃は、大変
 元気でした。
        (管理人)

 
 
 われわれの年代で「あの人、ガンで手術されたようだ」と聞くと「あゝ
あの人も、もう終わりか」と早合点したこともあった。
 ところが今度は「貴方が肺ガンである」と宣告されたのである。

 その時、動揺しなかったと言えばウソと思われるので、今は『よく覚え
ていない』ということにしておこう。
 ただ、N医大付属病院(以下N医大という)の担当医のH先生やT先生
と会話しているうちに「この先生なら、自分の命を安心して任せられる」
と確信してからは、手術に向けての話が前向きに進行していった。

 
  平成15年7月、和佐又登山のリーダーを務
  められた松本さん(向かって左から二人目)
  この頃、下見や本番の度に、彼のスタミナ
  が、だんだんと落ちていくように私は感じ
  ていた。          (管理人)
 

 それでは、順を追って説明すると、

9月6日(平成15年)
 長い間定期検診を受けていないし、少し暇が出来た事もあって何げなく
1年半ぶりに行きつけのK診療所で胸部のレントゲン検査を受ける。
 (平素から、ガンについては人一倍神経を使っている、というのは父、
  母、姉妹ともに同じ病気で亡くしているからである)
 2〜3日して、K診療所長からの連絡で「私なら見逃しているところで
すが、部下のY医師が少し気になるというので、念のためにD病院でCT
検査を受けて下さい」とのこと。

9月12日
 D病院にてCT検査(断層)

9月18日
 K診療所でD病院のCT検査の結果を聞くと「左肺の下部に腫瘍のよう
なものがあるので精密検査を受けるように」と。

9月24日
 D病院呼吸器内科のH先生を尋ねる。(N医大からの出向医師)

9月30日
 N医大でH先生と打ち合わせ、10月20〜21日一泊検査を予約。
  (苦しいが口から入れる内視鏡検査)

10月からは何かと忙しい日がつづく。

 孫の中学最後の運動会、奥友会、歩こう会大台ケ原、河合町の運動会、
村まつり、それに加えて、自宅の庭の剪定に14日間、Nさん宅2日間、S
さん宅2日間、そして近所の家のブドウの剪定と11月中も目を離せない。

10月20〜21日
 「この検査は少し苦しいよ」と事前に説明を受けていたが、いざ受けて
みると、これは実に苦しかった、二度と受けたくない。
 口にマウスピースを入れ、そこから直径6_のカメラ付チューブを入れ
て患部の一部を切り、取り出すものであるが、麻酔薬を入れながらの検査
とはいえ本当に苦しかった。

10月25日(村まつり後か)
 1日に何回か血痰が出るようになった。
 これはおかしい?肺の中に何かの異変が起きている。
 と言って痛いとか、苦しいとか、などの自覚症状はない。
 でも放って置くわけにもいかず、すぐ調べてほしいと血痰を持参して検
査依頼をした。

11月4日
 先日の検査では、はっきりした結果が出なかったので、13日に今度は
患部に注射針を差し込んで細胞を取り出し、再度検査をするという。

11月13日
 呼吸器内科のH先生と面談しているうちに、先生から意外な言葉が出て
きた。
 「実は、去る4日に出してもらった血痰を検査した結果、ガンである事
が判った。従って今日の患部に注射針を差し込む検査は取りやめにして、
代わりにもう一度CT検査を受けて帰って下さい」とのこと。
 「いずれにしても大手術になるので、N医大に限らず他に希望する病院
があれば遠慮なく言って下さい。紹介状を書きます。」と言われて、一瞬
迷ったが、他に懇意にしている病院もなく、また当初からH先生を信頼し
ている関係もあり、躊躇することなく「その気はありません。」と即答。

 いよいよ来るものが来たか!!!思えば36年程前、父が胃がんに冒され
苦しみながら他界したことがあったが、ついこの間のように思える。
 それ以来、母、そして姉、妹と相次いでガンで亡くしてきた。
 いずれも手遅れであった。
 「そして5人目は俺か、違う、あの時と違う、時代が違う!!!それに
俺は男や、ガンぐらいに負けられん、ガンと闘うのは俺しか居らん!」
 以来、あれやこれやと思えば思うほど眠れぬ夜が続いた。
 昼はできるだけ体力を使い、夜はお酒の力を借りては寝ることにした。
 幸いにして早期発見の部類に入るとのこと。
 その上、巡り合えたこの優秀な先生方の力を借りて、なんとか生き抜き
たい。
 そして今後、ガンとは手を切りたい、いや、絶対に切りたい。
 毎晩のように夜中に目が覚める。
 そして正座しながらひとりごと・・・「俺はガンぐらいに負けるもんか!」
 なかでも孫の事、家族の顔、顔、親戚、友達、隣組の人達の顔、顔、顔
が入れ替わりに浮かんでくる。

11月19日
 呼吸器内科のH先生から呼吸器外科のT先生に廻された。
 二言三言会話しているうちに手術を受けることになる。
 「煙草を吸っておられるようですが、手術されるなら今日から止めて下
さい。」とすべて取り上げられ、今に至っている。

11月26日
 T先生の勧めでT病院でPET(ペット)検査を受けることになる。
 これは、肺以外の他の部位にガンが転移していないかを調べるものであ
るが、このレントゲンは関西方面では3台しかなく、その内の1台がここ
にある。
 事前にブドウ糖を静脈に注射し、1時間後に体内に薬液が廻るのを待ち
レントゲン撮影を約30分して検査が終わる。

11月27日
 T病院のレントゲンの結果、肺以外に転移していない事を確認。
 (良かった!!!)
 12月2日入院、12月8日手術と日程が決まる。
 簡単に入院といっても、妻や周囲の人々も大変大変、家族や親戚のあり
がた味がよく解る。

 
  病  名)  左肺腫瘍(下葉)
  手術術式)  肺葉切除+リンパ節郭清術(左下葉)
         全身麻酔、硬膜外麻酔(麻酔科医師による)
  所要時間)  約4時間

 要約すると肺ガンには、
   1)扁平上癌 (圭司の場合はこれ)
   2)腺癌
   3)下部細胞癌
   4)小細胞癌
 
 以上の4種類があり、1〜3までは手術で切除
できるが、4になると手術ができず、抗がん剤に頼ることになるとの事。

12月2日
 家を出る前に仏壇に向かって「今から行ってきます。どうか生きて帰れ
ますように、おまもり下さい」。
 Rちゃんの車で3人で病院へ。
 以来、毎日検査検査の連続と主治医、麻酔医の説明が続く。

12月8日
 いよいよ手術・・・自分は何も判らない。
 何も知らぬ間に4時間あまりで予定通り左肺下部を切除。
 あと順調に回復して・・・

12月23日 【退院】
 退院前の説明では(圭司本人と親族を前に)「今のところリンパ腺によ
る転移も認められず良かったと思うが、念のため補助療法として、経口抗
がん剤(VFT)を1年間服用して様子を見ましょう。ごく軽い薬なので副
作用はないと思う。この他にTS−1と言うのがあるが、それはまた様子
を見ながらのことにしよう」とのこと。

 
 
  平成16年2月、手術から僅か2ヶ月で
  長浜から彦根へのウォーキングに参加
  して、元気よく歩かれる姿。
              (管理人)
 

*おわりに

 「運が良くて早期発見」と言う表現が適当かどうか別として、今入院し
ている人、また過去に手術をして今静養中の人に色々聞いてみると、自分
のような人間は極く少ない。
 先生からも「肺ガンの場合は特に自覚症状が少ないので、気が付いた時
には既に進行していて、かなり進んでいるか、手遅れの人が多い中で、あ
なたの場合、極く早期の状態で見付かっており、患者の中でも進行率10%
未満に入ると思う。」とのこと。
 親から70年前に健全な身体でこの世に送り出してもらって以来、どこひ
とつ弱いところなく、またこの間、風邪で休む事もなく未だ盲腸も残して
いる健康体でありながら、この大病に侵されたのは、約50年間も吸い続け
てきたタバコによるものと反省している。
 また、何と言ってもK診療所のB先生やY先生、そしてD病院のH先生
とN医大のK、T、N各先生の優れた腕と、真剣で誠意ある態度に感謝を
忘れてはならないと思う。

    「定期検診は半年ごとに必ず受けましょう」

 6月8日で手術後丸6か月が経過しました。
 この間、皆様方から寄せていただいたご厚志に対し、厚く厚く
 御礼を申し上げます。
 今では、平素と殆ど変わらない生活に戻っておりますので併せ
 てご報告させて頂きます。
             平成16年6月吉日 松 本 圭 司